こころの遊びから生まれるもの

心理カウンセリングオフィスでぃあは、こころの遊び場です。

カウンセリングというとどんなイメージですか?

重い、暗い、深刻な悩み事を相談するところ?そんなふうに思いますか?

でも案外そんなに暗くなく、ユーモアを交えて穏やかに遊んでいる時も多く、その方がかえってクライエントのこころは癒されるようなのです。

こころに遊びがなくなってしまうと…

不安や憂鬱に悩み、相談にいらっしゃる人のこころには、「遊び」がなくなっていることが多いです。

~でなければいけない、~すべき、~であるべきと、とがんじがらめに囚われていたり、人の顔色をうかがってばかりで、「ここでは何が正解なんだろう、間違えたらどうしよう」と不安でいっぱいで、遊ぶどころではなくなっていたりします。

遊びというと不真面目、不謹慎なものと思いますか?

でも遊びは、凝り固まった心にゆるみをもたらして、新しい可能性に向かう動きを作り出します。

問題に囚われていると、解決するための視点が持てません。ユーモアや遊びは、こころの問題を扱うための足場を作る上でも有効です。

「遊び」の深い意味とその効果

イギリスの精神分析家で小児科医でもあった、D.W.ウィニコットは、遊びの効果はさらに深い意味のあるもの、遊びこそが、人の心に自分らしさや現実感覚を育む、と言っています。

著書の「遊ぶことと現実」の中で、心理療法は「セラピストとクライエントの遊びの領域の重なり合いの中で起こる」とあります。

つまり心理療法の本質は遊ぶことにあるというのです。

小さいころに、お母さんやお父さんに遊んでもらった記憶がありますか?

小さいころ遊んでもらいたかったのに、かまってもらえなかった、無視されてしまった、そんな日常の出来事がトラウマになっていると語る方がとても多いです。

「遊び」はこころの内にある「空想」と「現実」をつなぐもの

遊びの中で心の内側にある、イメージや空想を、安心できる他者と共有することが健康な現実感覚のためにとても重要です。安心できる他者のとの関係性が「現実」がわかるために必要なのです。

小さいころに、こころの内側にあるもの=自分を、自由に表現して肯定的に受け取られる体験が持てないと、子供は大人が気に入るように自分を合わせてしまい、内側の感覚を見失って行きます。その一方で自分の世界は空想の中で広がり、他人と共有できない「現実ではないもの」になっていってしまいます。

カウンセリングや心理療法における「遊び」

心理療法で行う「遊び」とは、安全な関係性の中で、心の内側にあるものを自由に表現して、離れてしまった空想と現実の世界をつなぎ、着地させ、信頼感を取り戻すプロセスです。そこに「自己」が生まれます。

通常の会話によるカウンセリングも、箱庭やアート表現などを用いる場合も、インナーチャイルドや、心のパーツの言葉をぬいぐるみに託して対話するワークなどをする場合も同じように、安心して表現し、イメージを共有することで自分らしさを現実のものにしていくための「遊び」なのです。

熟年世代の夫婦・カップルカウンセリング

~一度きりの人生を、夫婦で仲良く支え合って、活き活きと暮らしていくために~

熟年世代の夫婦・カップルの相談が増えている。

夫婦・カップルカウンセリングには、いろんな年代のカップルが相談にいらっしゃいますが、熟年世代、60代ぐらいで、定年で仕事を終えたり、子供たちが成人して巣立った頃のご夫婦の相談も実は多くなってきています。

熟年離婚、別居、卒婚などの言葉も最近はよく聞くようになってきました。

熟年世代の夫婦・カップルのお悩みの特徴

いろんなご夫婦のお話を聞くうちに、熟年世代のお悩みにはいくつかの特徴があることに気づきました。特に次の三つの点は重要なポイントではないか、と思っています。

一つ。若いころの「関係性の危機」を引きずっている。

実は若いカップルも、熟年夫婦も共通して、結婚数年目の「ある時期」に生じたわだかまりを話題にすることがとても多いです。

結婚数年目は、恋愛や性的な関係など初期に男女を結びつけた強い力が、急激にトーンダウンし、結婚に対して、お互いに対して、失望や幻滅を経験する時期です。ここに産後クライシスが重なることも多いので、夫婦関係が躓きやすい時期と言えます。

本来ならばこの時期に、夫婦関係のあり方が変化し、危機を克服する必要があるのですが、その課題にきちんと向き合うことができていなくて、後まで持ち越されてしまうということが結構あるようなのです。

ともに子育てをし、一生懸命仕事をしていけば「自然」と、夫婦関係は育まれるかというと、必ずしもそうとは言えないのです。

妻は家庭、夫は仕事、と長いこと平行線の夫婦関係を過ごして来た、と話す熟年夫婦はとても多いです。

二つ目。「これからの人生を自分らしく生き、意味あるものにしたい」という思いが、結婚を窮屈に感じさせ始める。

仕事、子育てなど、人生の大きな責任と義務に一段落つくのが、熟年世代ではないでしょうか。

これからの人生をどう生きようか、これまでの人生で本当に自分のやりたいことをやってきただろうか。真に意味のある人生を、活き活きと生きるために、これからの時間を大切にしたい。

こうした思いから、若いころとは一味違う真剣さで自己実現のテーマが浮上する、そういう人生の段階にさしかかるのです。

一度きりの人生。ともに生きる相手として、本当にこの夫、妻でいいのだろうか?

家族への義務から解放されて、もっと自由に生きたほうが幸せなのじゃないだろうか?

そんな思いが、熟年夫婦の危機の背景にあるようなのです。

三つ目は、社会のジェンダー意識の変化です。

熟年世代が結婚した当時は、男性は会社など外で働き、女性は家で家事や育児をするといった性役割が主流だった時代ではないでしょうか。

ところが、近年ではだいぶ変化して、結婚、出産後も仕事をする女性が増えました。育休を取る人が増え、子育てもキャリアも両立する生き方を目指す女性が急速に増えています。

この流れによって、男性の育児、家事への参加意識にも変化が現れています。

社会の考え方の変化に伴い、従来の性役割に則って生きてきた熟年夫婦も、本当にこれでいいのだろうか?と考えてしまう、そういうことも起こるようです。

ジェンダー観の違いがお互いの間で価値観の違いとして対立してしまい、解決の糸口が見えなくなってしまうこともあります。

「定年してずっと家にいる夫のために、お昼ご飯を作らないといけない」と嘆く熟年女性の声を何度も聞いています。

男性も家庭の中での新しい役割に戸惑いを覚えることも多いと思います。

夫婦・カップルの関係性はいくつになっても学び、変えることができる。

夫婦・カップルの関係性は、I(私)+I(私)ではうまくいきません。
お二人は真にWE(私たち)になっているでしょうか?

夫婦・カップルがWE(私たち)になるということは、恋愛や性欲のような自然発生的なプロセスではなく、意識的に、努力して築き上げるもののようです。一言でいうならば、「愛」なのかもしれないのですが、「愛」なんていう大きくて抽象的な言葉を持ってくると、つい圧倒されてしまいます。

なので「愛」をもう少し具体的な、心理、関係性の課題として考えると、

  • お互いの言葉に耳を傾け、コミュニケーション力を上げること
  • 尊重し合い、win-winの意思決定ができるようになること
  • ずっと引きずっている「わだかまり」を解消すること
  • 自己中心的になりやすい心の傾向を越え、自分とは違う相手を尊重し、愛することができるキャパシティを上げること
  • 相手に「変われ!」と言うのではなく、変われるのは自分自身と理解すること
  • 夫婦の間でも健全な境界線を持つこと
  • ともに楽しむ共通の趣味や関心事を持つこと、等々

こうしたことに取り組むのはすごく大変だけれど、夫婦愛を、お互いを真に愛する能力を育むことは、人生をかけて取り組むに値する重要なテーマではないでしょうか。

夫婦・カップルがWE(私たち)になるということは、例えていうと「夫婦は二人三脚」ということが近いのかな、と思っています。

二人三脚だなんて、そんなことしないで、スタスタと一人で歩く方が楽だし、速く遠くに行けるに決まっています。

でも夫婦は、敢えて片足を縛りあい、イチニ、イチニとかけ声をかけ合いながら進むのです。

運動会の障害物競争みたいな、パン食い競争、借り物競争、匍匐前進のような、つぎつぎに現れる人生の障害物を、一緒に励ましあいながら、笑いながら駆け抜ける、そんな関係性があったら、人生楽しそうではないですか?

心理カウンセリングオフィスでぃあでは、夫婦・カップルカウンセリングに力を入れています。

公認心理師という国家資格と、臨床心理士の両資格を持つ、心理学の専門家がご相談をお受けしております。心理学の専門家がカップルや夫婦のカウンセリングを行う場所は、まだ実はとても少ないのが現状です。

カウンセラーに夫婦の恥ずかしい話をするなんて、と抵抗もあるでしょうが、よかったら一度相談してみてください。お待ちしております。

夫婦やカップルの問題に悩んだ時、どこに相談しますか?

夫婦、カップルの関係性の大切さ

夫婦、カップルの関係性は、たぶん人生で一番大切と言っても過言ではない、とても重要なつながりです。
愛、喜び、家族の幸せの出発点は、一組の夫婦、カップルの関係性からです。

でも半面、ひとたび夫婦、カップルが問題を抱えると、深く傷つき、悩みとストレスがとても大きくなります。時にその苦しみは、「もう、頭がおかしくなりそう!」と叫びたくなるほど。

夫婦、カップルの問題に悩んだ時、どこに相談しますか?

そんな時、悩んでも、夫婦やカップルのことなんて友達にも相談しづらいですよね。親や実家の家族に相談したら余計にもめるかもしれない。心療内科などの病院に相談するほどでもないし、なんかちょっと違う感じもする。離婚が現実的になったら弁護士の法律相談や、役所の窓口などの相談先はある。

でも、その前に、関係を修復できるものなら修復したい。

本当に嫌いになったわけじゃない。愛情はまだある。なのに、口を開けば喧嘩ばかり。まともな話し合いにならない。やり直せるならやり直したいのに、どうしたらいいかわからない。
誰か第三者が間に入ってくれたら、もうちょっと冷静に話し合えるかもしれないのに…。

夫婦、カップルの問題の相談先の不足

夫婦、カップルの悩みは本当に切実です。
でも、そういう時に相談できる場所が、あまりにも不足してはいないでしょうか。

実際、夫婦、カップルカウンセリングを扱う、臨床心理士や公認心理師などの心の専門家は、どうやらとても少ないようです。
留学していたカリフォルニアで、修士課程修了レベルで取れるカウンセリングの資格はMFTというのですが、それは、Marriage and Family Therapist、つまり結婚と家族のカウンセラーです。この名称から考えても、アメリカでは結婚や家族に心理療法が必要だという考えが普及しています。でも、どうも日本ではそうではないようです。

夫婦喧嘩は犬も食わぬというけれど、夫婦やカップルの問題になんて立ち入らない方がいい、そういう考えなのでしょうか。家族や人口の研究で有名なエマニュエル・トッド氏によれば、日本はゾンビ直系家族の社会なのだそうです。戦後、核家族が主流になっているのにも関わらず、かつての家父長制のメンタリティーを引きずっている、ということならしいです。こうした家族観の中では夫婦関係が重要視されません。
それが、夫婦やカップルの問題を相談する、という意識の低さにつながっているのでしょうか。

夫婦、カップルカウンセリングは効果が高い

夫婦やカップルが抱える問題は、時に根が深く、悩みも深刻で、二人の関係性が問題を複雑にしてしまいがちです。
でも、そこには二人の大人、それも男性と女性がいます。二人が協力して力を合わせることができるなら、こんなに力強いことはなく、深い癒しのプロセスを展開できます。
コミュニケーションを改善したり、それぞれが抱えている心理的な問題を解決することで、関係を修復して幸せになれる夫婦、カップルはたくさんいます。

心理カウンセリングオフィスでぃあでは、夫婦、カップルカウンセリングに力を入れています。

だから、心理カウンセリングオフィスでぃあでは、夫婦、カップルカウンセリングに力を入れています。

未婚、既婚のどちらでも大丈夫です。女性の同性カップルのご相談もお受けしています。
個人カウンセリングは原則女性限定でお受けしているのですが、カップルや家族の場合は、男性からの相談もお受けしています。

必ずしも夫婦一緒に相談にいらっしゃれなくても大丈夫です。
個人カウンセリングとカップルカウンセリングを統合的に行っているので、個人カウンセリングの中でパートナーや配偶者の方に参加してもらったり、最初は個人カウンセリングとして夫婦、カップルの関係のこと相談するという場合も多くあります。

いずれの場合でも、クライエントの意志を尊重して、二人がよりよい選択をして豊かな人生を歩むことができるような支援を行っています。

自分になろうとすると苦しくなってしまう…、そう感じるあなたへ

自分らしく生きる、本音で生きる、ということは、なぜそんなに難しいのでしょうか?

本音を言ってみよう、自分のしたいことをしてみよう、そう思っても、「無理!」となってしまう人がいます。自分の生きたいように生きたい、自分の意志、自分軸を持ちたい、そう心から望んでいるのに、です。

自分を持たないと生きづらい

自分が何を望んでいるかを知り、自分自身を大切にケアしてあげなければ、自分自身は満たされないままになってしまいます。

自分を満たすことよりも、ほかの人のために、期待に応えるために頑張り過ぎてしまって、生きることが苦しくなってしまう、そんなことも起こります。自分ではなく、人のために生きる、それはとても美しいことなのだけれど、でもなぜかすごく苦しくなってしまうのです。

自分になろうとすると苦しくなってしまう

自分になろうと思うと、なぜかとても苦しい気持ちに襲われている、そのため自分になることが妨げられている、ということはないでしょうか。

自分になろうなんてしたら、絶対否定される、恥ずかしい、みじめ、申し訳ない、罪悪感、怒りなどのつらく苦しい感情。消えたい、いなくなりたい、死にたい、というほどの深刻な苦悩と結びついていることも少なくはありません。

見捨てられ抑うつ

こういった苦痛な感情のことをアメリカの精神分析家J.マスターソンは、「見捨てられ抑うつ」と呼びました。子供の頃、その子らしさ、「自分」があらわれて来る時に、自分らしさが成長していくことを支え、応援してもらうことができなかった、という経験に由来する感情なのだそうです。

それは大人になっても持ち越され、自分になろうとするたびに、見捨てられ抑うつの苦しい感情が沸き起こって、それは本当に苦しいので防衛的に心を守る癖ができてしまいます。それが根深く、解決しづらい、生きづらさの基になっています。

自分になることを支えられること

この問題を解決するためには、理解し支えてくれる他者との関係性の中で、止まっていた心の成長過程を再開し、自分になっていくしかありません。見捨てられ抑うつから心を守るための防衛は、もはや自分自身を閉じ込める檻になってしまっています。

これは自分一人で頑張っても、修行しても乗り越えることが難しいものです。
苦しさを理解し支えてくれる関係性の中で、自分らしさが成長してくると、感情や実感に結びついた本来の自己が現れてきます。
そうすると自分自身のニーズを満たすこともできるようになり、生きづらさから解放されていくことができるのです。

幸福度38か国中37位。~生きづらい日本の若い人たちのために~

先日ユニセフが発表した子供の幸福度についてのレポートは、実にショッキングな結果で、SNSなどでもだいぶ話題になりました。日本は身体的な健康度は1位なのに、精神的幸福度は38か国中で37位。https://www.unicef.or.jp/news/2020/0196.html

この結果をどう受け止めたらいいか、心の健康に携わる者の一人として、深く考えさせられました。 オランダやノルウェーなどと何が違っているのでしょうか。いったい日本の子どもたちに何が起こっているのでしょうか。

ユニセフのレポートによると、日本の子どもは生活への満足度が低く、自殺率が高く、いじめの問題を抱えていて、友達を作る自信にも欠けているのだそうです。

若い人が自殺してしまう、これほど悲しいことはありません。
でも確かに、カウンセリングをしていると、生きる意味が分からない、いなくなりたい、消えてしまいたい、そんな訴えを若い人からよく聞くのです。

彼、彼女らの話をよく聞いてみると、空気を読んで、周りから浮かない、悪目立ちしないキャラを作っている、自分がどう思われるかをコントロールし、自分を抑えている、そんな若い人たちの実態について話してくれます。またこうした若い人たちは、とても傷つきやすく、お互いに傷つけあわないように気遣いあい、深いかかわりを避けてしまうことも多いようです。

そんなふうに自分を抑えているうちに、自分らしさの感覚とともに、生きる実感さえ見失ってしまう。傷ついた時に支え合える関係性も築けていないので、人生で必然的に出会う困難を、乗り越えることができなくなってしまうのです。

周りに合わせて自分を抑えることは、日本の「和を大切にする」文化とも関連しているのかもしれません。昨今の新型コロナ対応でも、諸外国がロックダウンをする中、厳しく規制をせずとも「自粛」で対策ができてしまうほど、日本人は自分を抑えることが上手でした。でもそれは、裏を返せば、個人より集団や「場」を優先するということもつながっていて、個人の幸福が後回しにされやすいということでもあります。

カウンセリングを進めていってわかることは、自分らしく自己肯定できるようになっても、それは心配されるような、空気の読めない自分勝手な人になることでは全くない、ということです。自分らしさを出さず抑えるように育つということは、その過程で心に傷を負うことでもあります。その傷つきから癒され、回復すると、自然体でリラックスした感じになって、周りの人ともっとよい関係を築けるようになります。

多分こうした苦しさ、生きづらさを抱えている若い人たちは、それが相談できること、解決し得るということを知りません。子どもたち、若い人たちが幸福に成長できるように、カウンセリングやメンタルヘルスのサービスについての理解を広め、普及させていくことの必要性を強く感じています。

頑張っているのに、なかなか自信が持てない人へ~「認められたい!」の根っこにあるもの

成果が上がっているのに自信に結びつかない

カウンセリングを受けにいらっしゃる人中で、とりわけうつの傾向の強い人には、とても優秀な頑張り屋さんが多いようです。仕事や勉強をすごく頑張っていて、その上家事や育児もこなしていたりと激務に耐えています。そうして実際に成果も出ていて、実力があり、周りからの評価も高い。なのになぜかいつまでも自信が持てないと言います。ほめられてもうまく受け止められず、「自分なんか…全然ダメです」と言います。謙遜して言ってのではなく、本当にそう思い込んでいるのです。

やってみて、うまく行って、成功体験を持つことができれば、「自分にはできる力がある」と感じて自己効力感が高まり、自信が持てるはず、そう考える人が多いと思います。この考えは正しいし、実際にそうやって自信を強めていくことができる人もたくさんいます。

でも、中にはいくら成功体験があっても、褒められても、認められても自己評価が上がらないという人が実は少なくありません。頑張っても、頑張っても、心は満たされないのです。

頑張りすぎがうつにつながる

これは実は深刻な問題です。自信を持ちたくて、つい頑張りすぎてしまうことにつながるので、過労に陥ったり、うつになったりという結果に結びつきやすいのです。

なぜなのでしょうか。なぜ頑張りが、成果が自信につながらないのでしょうか。

もしかしてそれは、自信を持つために必要なものが本当は「別のもの」、だからではないでしょうか。

「承認欲求」の前に「愛と所属の欲求」

成功体験から自信を高めることができるためには、その前提として、基本的なところで自分を受け入れている必要があります。マズローの欲求階層説という心理学の古典的な学説がありますが、マズローは「承認欲求」を求める以前に、「愛と所属の欲求」が満たされる必要があるということを言っています。マズローの考えによると、低次の欲求が満たされて初めて、その上の高次の欲求を求めるようになるのだそうです。つまり自分は「愛され、居場所がある」と感じられることが、その上の「承認欲求」を追求する基盤になるということです。でも実際には、この「愛と所属」の課題をなおざりにしたまま、その上の「承認欲求」や「自己実現の欲求」を追求してしまっていることで、傷つき、挫折している人がすごく多いように思います。

認められることで居場所感を得たい

頑張っても自信が持てないという人はしばしば、仕事で認められることで「人から必要とされたい」とか、「そこに居てもいいと思いたい」ということを言います。でも、頑張った成果で認められるということは基本的に「条件付き」の承認であって、期待に応え、実績を上げることで受け入れられ、ダメなら低い評価を与えられるという厳しいものです。だからもし、その人がもっと「無条件に」受け入れられ、心が満たされることを求めているとしたら、その期待は裏切られ、傷つくことになってしまいます。

ありのままの自分が受け入れられる経験を必要としている

この自信のなさや、満たされない思いは、本当はもっと親しい関係の中で、無条件に認められ、自分はOKなんだと感じるという体験を必要としているのです。頑張らなくても、何もしなくても、そのままでいいよ、と受け入れられたいという欲求を、成果を認められることに置き換えようとしても難しいのです。

育ってきた人間関係の中で、自分がちゃんと受け入れてもらえていないと感じる、心の傷つきに自信が持てない原因があるので、これはやはり人間関係の中で癒していくしかありません。ありのままの自分が受け入れられる経験を通して、期待に応えるための頑張りではない、自分のための本物の頑張りができるようになります。そうして初めて、頑張った成果を自分のものとして実感し「自分はできる」と思えるようになるのです。

自分が嫌いなあなたへ ~自分を好きになるために

「自分が嫌い」は苦しい
落ち込んだり、不安になったりして相談に訪れる方たちの多くに共通している一つのこと、それは「自分が嫌い」、ということです。
自分が嫌いなことは苦しい。自己嫌悪という感情はとても憂鬱で苦痛なものです。

「自分が好き」はよいこと?悪いこと?
でも、その人が自分を好きになりたいか、というとそれはイヤだと思っていることも少なくありません。自分を好きな人と言えば、傲慢で、オレ様で、身勝手で、人を傷つけても平気でいる利己的な人物を思い浮かべているのです。

自己嫌悪感が強い人の中には、身近にそういう傲慢な性格の人がいて、すごく傷つきながら育ったということも少なくないようです。
とはいえ自己肯定感と心の健康に深い関係があることもよく知られるようになっているので、自分の問題を自己肯定感と関連づけて考えてもいたりもします。

どういうことなのでしょうか。自分を好きなことは良いことなのでしょうか。悪いことなのでしょうか。

自己愛のパラドックス
一見矛盾して見えるこの問題ですが、実は矛盾なのではなく、似て非なる二種類の「自分が好き」が混在し、見分けがつきくなっているせいで生じる誤解です。

自分大好きな、傲慢でオレ様で、自分はグレイトだ言う、自己宣伝、自慢が多いという人が、実のところ根底では自分が大嫌いで、すごくみじめな気分を隠し持っている、ということはとても多いです。でもそれを認めるのはすごくつらい。だから防衛的に自分を愛している。それが見かけ上の自己肯定の正体です。それはつまり、傷ついた自己愛を守るための「防衛的な自己愛」、偽物の自己肯定なのです。

本物の自己肯定感とは?
では本物の自己肯定とはどんなものでしょうか。

本当に自己肯定感の高い人は、傲慢で尊大なオレ様ではありません。むしろ深い自己受容に基づいた謙虚さがあり、自然体で、等身大の自分でいられるような人物です。人より優れているという優越感ではなく、「私はコレでいいのだ」と受け入れることから来る自信、それが本物の自己肯定です。

人間関係の中で育まれる自己肯定感
本物の自己肯定感は、信頼できる人間関係の中で、自然体の自分らしさをさらけ出し、その時にそれが肯定的に受け入れられたという体験に基づいています。自分で自分を認めること、だけれど、それは自分一人でできることでもないのです。信頼できる人を鏡にすることで本来の自分の姿を知り、受け入れることができる。そうして育まれた自己肯定こそが安定した心の健康の基礎となるのです。

対面カウンセリング再開

5月25日に新型コロナ感染症の緊急事態宣言が解除されましたので、5月26日から感染症対策に留意しながら、対面でのカウンセリングを再開します。

引き続き電話やオンラインでのカウンセリングも行っていますので、ご希望の方はご利用ください。

緊急事態宣言が解除されて、本当に長い、暗い夜が明けたような喜びがあります。

もちろん、まだ手放しで喜ぶ段階ではないし、多くの喪失があり、医療現場ではまだ多くの人が献身的に働いていることを忘れてはいけないことはわかっています。
でも、「明けない夜はない」という言葉を今はかみしめています。

この期間、一般の私たちも多くのことを耐え、頑張って乗り切ってきました。
外出を自粛し、慣れないリモートワークをし、休校中の子供の勉強をみてあげ、ゴールデンウィークなのにどこへも行けなかったりしながら、孤独に耐え、暗いニュースに毎日心を痛め、不安に耐えて過ごしました。

一方そこにはオンラインでつながった世界中が、一緒にパンデミックという危機と向き合う、ある種の一体感のようなものもあり、これまでの日常と世界の在り方を改めて考え直すきっかけにもなりました。

休業要請が解除されて、またかつての日常に戻っていくことへの不安と戸惑いを感じる人も少なくないのではないことと思います。さらに厳しい現実と向き合わなければいけない人も多いことでしょう。

でも今はまず、みんなで力を合わせてこの難局を乗り越えたことを、私たちは誇っていいし、お互いを讃えあっていいのではないでしょうか。そしてコロナ自粛生活の中で学んだことを決して忘れることなく、未来に活かしていけるように願っています。

2020年5月26日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : admin

自分に優しく、温かくなれますか?

心理カウンセリングオフィスでぃあは「自分らしさを育む、温かな心の遊び空間」であることを目指しています。

このコンセプト二番目の要素、「温かな」とは何でしょうか?

温かさ=回復力

風邪をひいたら温かくして寝るのが一番であるように、温泉の温かさに癒しを求めるように、自己治癒力を活性化させるためには温かさが欠かせません。それは身体だけのことではなく、心の癒しにも温かさがとても大切なのです。
温かさ=回復力
であると考えています。心の温かさは、優しさ、思いやり、受容的などとも言い換えることができます。

自分に優しくできる?

相談にいらした方に、「自分に思いやりを持てるといいよね」ということをよくお話しますが、大体の人は、キョトンとした表情を浮かべ、自分に優しくできるなどとは考えたことがなかった、と言います。自分に優しくすることは自分に甘いのとは違います。でも、自分には厳しくあらねばならない、そう教えられて育ち、頑張って自分を追い込むことが身に付いている人は、うまくいかなかいとひたすら自分を責めてしまっています。自分を責めるあなたに責められているあなたは、寂しくて、不安で、苦しくて、だから硬く殻に閉じこもってしまい、ものごとは余計にうまくいかなくなってしまいます。

自分自身に温かい眼差しを向ける

心の傷を癒し、しなやかな回復力のある心になるためには、悩んでいる自分から一歩離れて、悩んでいる自分を温かな思いやりを持って眺めることができる、そんな自分を育てる必要があります。

フォーカシングにおける温かさ

心理カウンセリングオフィスでぃあのカウンセリングでは、ユージン・ジェンドリンが開発した「フォーカシング」という技法をカウンセリングの中でよく用いています。フォーカシングでは、自分の悩み事から「脱同一化」(=一歩離れる)し、そのままを認め、思いやりと温かさをもって問いかけてみる、ということをやっていきます。そうすると、硬く固まっていた心の傷跡とその周りのわだかまりがすーっと解けて、解決に向かって流れていくということが起きるのです。

冷たい分析は癒しにはつながらない

こうした温かさとは対極にあるのが、冷たく批判的、分析的、診断的な態度です。例えばそれは、悩み事のもとにあるコンプレックスを分析して解釈を伝えるとか、不安障害であるとか、人格障害であるとかの診断をするといったこと。こうしたことは、役に立つ視点を与えてくれるし、その「気づき」自体はとても良いものであることが多いのですが、ただ、そこに温かさが欠けていると、癒しにはつながらず、分かっても変われなかったり、批判されたように感じて却って傷ついたり、辱められたように感じるということも起こり得ます。

温かな関係性を大切にするカウンセリング

心理カウンセリングオフィスでぃあでは、温かな治療者とクライアントの関係性を一番大切にしています。カウンセリングの中で温かく受け入れられ、映し返しを受ける体験を重ねることで心の深いところから癒されていきます。そうするとカウンセラーの温かく受容的な態度が、徐々にクライアントの内面に取り入れられていくということが起き、最終的にはクライアント自身が、自分で自分に優しく温かい眼差しを向けることができるようになって、自己肯定感が増し、しなやかで丈夫な心を持てるようになっていくのです。