自分らしく生きる、本音で生きる、ということは、なぜそんなに難しいのでしょうか?
本音を言ってみよう、自分のしたいことをしてみよう、そう思っても、「無理!」となってしまう人がいます。自分の生きたいように生きたい、自分の意志、自分軸を持ちたい、そう心から望んでいるのに、です。
自分を持たないと生きづらい
自分が何を望んでいるかを知り、自分自身を大切にケアしてあげなければ、自分自身は満たされないままになってしまいます。
自分を満たすことよりも、ほかの人のために、期待に応えるために頑張り過ぎてしまって、生きることが苦しくなってしまう、そんなことも起こります。自分ではなく、人のために生きる、それはとても美しいことなのだけれど、でもなぜかすごく苦しくなってしまうのです。
自分になろうとすると苦しくなってしまう
自分になろうと思うと、なぜかとても苦しい気持ちに襲われている、そのため自分になることが妨げられている、ということはないでしょうか。
自分になろうなんてしたら、絶対否定される、恥ずかしい、みじめ、申し訳ない、罪悪感、怒りなどのつらく苦しい感情。消えたい、いなくなりたい、死にたい、というほどの深刻な苦悩と結びついていることも少なくはありません。
見捨てられ抑うつ
こういった苦痛な感情のことをアメリカの精神分析家J.マスターソンは、「見捨てられ抑うつ」と呼びました。子供の頃、その子らしさ、「自分」があらわれて来る時に、自分らしさが成長していくことを支え、応援してもらうことができなかった、という経験に由来する感情なのだそうです。
それは大人になっても持ち越され、自分になろうとするたびに、見捨てられ抑うつの苦しい感情が沸き起こって、それは本当に苦しいので防衛的に心を守る癖ができてしまいます。それが根深く、解決しづらい、生きづらさの基になっています。
自分になることを支えられること
この問題を解決するためには、理解し支えてくれる他者との関係性の中で、止まっていた心の成長過程を再開し、自分になっていくしかありません。見捨てられ抑うつから心を守るための防衛は、もはや自分自身を閉じ込める檻になってしまっています。
これは自分一人で頑張っても、修行しても乗り越えることが難しいものです。
苦しさを理解し支えてくれる関係性の中で、自分らしさが成長してくると、感情や実感に結びついた本来の自己が現れてきます。
そうすると自分自身のニーズを満たすこともできるようになり、生きづらさから解放されていくことができるのです。