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夫婦やカップルの問題に悩んだ時、どこに相談しますか?

夫婦、カップルの関係性の大切さ

夫婦、カップルの関係性は、たぶん人生で一番大切と言っても過言ではない、とても重要なつながりです。
愛、喜び、家族の幸せの出発点は、一組の夫婦、カップルの関係性からです。

でも半面、ひとたび夫婦、カップルが問題を抱えると、深く傷つき、悩みとストレスがとても大きくなります。時にその苦しみは、「もう、頭がおかしくなりそう!」と叫びたくなるほど。

夫婦、カップルの問題に悩んだ時、どこに相談しますか?

そんな時、悩んでも、夫婦やカップルのことなんて友達にも相談しづらいですよね。親や実家の家族に相談したら余計にもめるかもしれない。心療内科などの病院に相談するほどでもないし、なんかちょっと違う感じもする。離婚が現実的になったら弁護士の法律相談や、役所の窓口などの相談先はある。

でも、その前に、関係を修復できるものなら修復したい。

本当に嫌いになったわけじゃない。愛情はまだある。なのに、口を開けば喧嘩ばかり。まともな話し合いにならない。やり直せるならやり直したいのに、どうしたらいいかわからない。
誰か第三者が間に入ってくれたら、もうちょっと冷静に話し合えるかもしれないのに…。

夫婦、カップルの問題の相談先の不足

夫婦、カップルの悩みは本当に切実です。
でも、そういう時に相談できる場所が、あまりにも不足してはいないでしょうか。

実際、夫婦、カップルカウンセリングを扱う、臨床心理士や公認心理師などの心の専門家は、どうやらとても少ないようです。
留学していたカリフォルニアで、修士課程修了レベルで取れるカウンセリングの資格はMFTというのですが、それは、Marriage and Family Therapist、つまり結婚と家族のカウンセラーです。この名称から考えても、アメリカでは結婚や家族に心理療法が必要だという考えが普及しています。でも、どうも日本ではそうではないようです。

夫婦喧嘩は犬も食わぬというけれど、夫婦やカップルの問題になんて立ち入らない方がいい、そういう考えなのでしょうか。家族や人口の研究で有名なエマニュエル・トッド氏によれば、日本はゾンビ直系家族の社会なのだそうです。戦後、核家族が主流になっているのにも関わらず、かつての家父長制のメンタリティーを引きずっている、ということならしいです。こうした家族観の中では夫婦関係が重要視されません。
それが、夫婦やカップルの問題を相談する、という意識の低さにつながっているのでしょうか。

夫婦、カップルカウンセリングは効果が高い

夫婦やカップルが抱える問題は、時に根が深く、悩みも深刻で、二人の関係性が問題を複雑にしてしまいがちです。
でも、そこには二人の大人、それも男性と女性がいます。二人が協力して力を合わせることができるなら、こんなに力強いことはなく、深い癒しのプロセスを展開できます。
コミュニケーションを改善したり、それぞれが抱えている心理的な問題を解決することで、関係を修復して幸せになれる夫婦、カップルはたくさんいます。

心理カウンセリングオフィスでぃあでは、夫婦、カップルカウンセリングに力を入れています。

だから、心理カウンセリングオフィスでぃあでは、夫婦、カップルカウンセリングに力を入れています。

未婚、既婚のどちらでも大丈夫です。女性の同性カップルのご相談もお受けしています。
個人カウンセリングは原則女性限定でお受けしているのですが、カップルや家族の場合は、男性からの相談もお受けしています。

必ずしも夫婦一緒に相談にいらっしゃれなくても大丈夫です。
個人カウンセリングとカップルカウンセリングを統合的に行っているので、個人カウンセリングの中でパートナーや配偶者の方に参加してもらったり、最初は個人カウンセリングとして夫婦、カップルの関係のこと相談するという場合も多くあります。

いずれの場合でも、クライエントの意志を尊重して、二人がよりよい選択をして豊かな人生を歩むことができるような支援を行っています。

自分になろうとすると苦しくなってしまう…、そう感じるあなたへ

自分らしく生きる、本音で生きる、ということは、なぜそんなに難しいのでしょうか?

本音を言ってみよう、自分のしたいことをしてみよう、そう思っても、「無理!」となってしまう人がいます。自分の生きたいように生きたい、自分の意志、自分軸を持ちたい、そう心から望んでいるのに、です。

自分を持たないと生きづらい

自分が何を望んでいるかを知り、自分自身を大切にケアしてあげなければ、自分自身は満たされないままになってしまいます。

自分を満たすことよりも、ほかの人のために、期待に応えるために頑張り過ぎてしまって、生きることが苦しくなってしまう、そんなことも起こります。自分ではなく、人のために生きる、それはとても美しいことなのだけれど、でもなぜかすごく苦しくなってしまうのです。

自分になろうとすると苦しくなってしまう

自分になろうと思うと、なぜかとても苦しい気持ちに襲われている、そのため自分になることが妨げられている、ということはないでしょうか。

自分になろうなんてしたら、絶対否定される、恥ずかしい、みじめ、申し訳ない、罪悪感、怒りなどのつらく苦しい感情。消えたい、いなくなりたい、死にたい、というほどの深刻な苦悩と結びついていることも少なくはありません。

見捨てられ抑うつ

こういった苦痛な感情のことをアメリカの精神分析家J.マスターソンは、「見捨てられ抑うつ」と呼びました。子供の頃、その子らしさ、「自分」があらわれて来る時に、自分らしさが成長していくことを支え、応援してもらうことができなかった、という経験に由来する感情なのだそうです。

それは大人になっても持ち越され、自分になろうとするたびに、見捨てられ抑うつの苦しい感情が沸き起こって、それは本当に苦しいので防衛的に心を守る癖ができてしまいます。それが根深く、解決しづらい、生きづらさの基になっています。

自分になることを支えられること

この問題を解決するためには、理解し支えてくれる他者との関係性の中で、止まっていた心の成長過程を再開し、自分になっていくしかありません。見捨てられ抑うつから心を守るための防衛は、もはや自分自身を閉じ込める檻になってしまっています。

これは自分一人で頑張っても、修行しても乗り越えることが難しいものです。
苦しさを理解し支えてくれる関係性の中で、自分らしさが成長してくると、感情や実感に結びついた本来の自己が現れてきます。
そうすると自分自身のニーズを満たすこともできるようになり、生きづらさから解放されていくことができるのです。

幸福度38か国中37位。~生きづらい日本の若い人たちのために~

先日ユニセフが発表した子供の幸福度についてのレポートは、実にショッキングな結果で、SNSなどでもだいぶ話題になりました。日本は身体的な健康度は1位なのに、精神的幸福度は38か国中で37位。https://www.unicef.or.jp/news/2020/0196.html

この結果をどう受け止めたらいいか、心の健康に携わる者の一人として、深く考えさせられました。 オランダやノルウェーなどと何が違っているのでしょうか。いったい日本の子どもたちに何が起こっているのでしょうか。

ユニセフのレポートによると、日本の子どもは生活への満足度が低く、自殺率が高く、いじめの問題を抱えていて、友達を作る自信にも欠けているのだそうです。

若い人が自殺してしまう、これほど悲しいことはありません。
でも確かに、カウンセリングをしていると、生きる意味が分からない、いなくなりたい、消えてしまいたい、そんな訴えを若い人からよく聞くのです。

彼、彼女らの話をよく聞いてみると、空気を読んで、周りから浮かない、悪目立ちしないキャラを作っている、自分がどう思われるかをコントロールし、自分を抑えている、そんな若い人たちの実態について話してくれます。またこうした若い人たちは、とても傷つきやすく、お互いに傷つけあわないように気遣いあい、深いかかわりを避けてしまうことも多いようです。

そんなふうに自分を抑えているうちに、自分らしさの感覚とともに、生きる実感さえ見失ってしまう。傷ついた時に支え合える関係性も築けていないので、人生で必然的に出会う困難を、乗り越えることができなくなってしまうのです。

周りに合わせて自分を抑えることは、日本の「和を大切にする」文化とも関連しているのかもしれません。昨今の新型コロナ対応でも、諸外国がロックダウンをする中、厳しく規制をせずとも「自粛」で対策ができてしまうほど、日本人は自分を抑えることが上手でした。でもそれは、裏を返せば、個人より集団や「場」を優先するということもつながっていて、個人の幸福が後回しにされやすいということでもあります。

カウンセリングを進めていってわかることは、自分らしく自己肯定できるようになっても、それは心配されるような、空気の読めない自分勝手な人になることでは全くない、ということです。自分らしさを出さず抑えるように育つということは、その過程で心に傷を負うことでもあります。その傷つきから癒され、回復すると、自然体でリラックスした感じになって、周りの人ともっとよい関係を築けるようになります。

多分こうした苦しさ、生きづらさを抱えている若い人たちは、それが相談できること、解決し得るということを知りません。子どもたち、若い人たちが幸福に成長できるように、カウンセリングやメンタルヘルスのサービスについての理解を広め、普及させていくことの必要性を強く感じています。

頑張っているのに、なかなか自信が持てない人へ~「認められたい!」の根っこにあるもの

成果が上がっているのに自信に結びつかない

カウンセリングを受けにいらっしゃる人中で、とりわけうつの傾向の強い人には、とても優秀な頑張り屋さんが多いようです。仕事や勉強をすごく頑張っていて、その上家事や育児もこなしていたりと激務に耐えています。そうして実際に成果も出ていて、実力があり、周りからの評価も高い。なのになぜかいつまでも自信が持てないと言います。ほめられてもうまく受け止められず、「自分なんか…全然ダメです」と言います。謙遜して言ってのではなく、本当にそう思い込んでいるのです。

やってみて、うまく行って、成功体験を持つことができれば、「自分にはできる力がある」と感じて自己効力感が高まり、自信が持てるはず、そう考える人が多いと思います。この考えは正しいし、実際にそうやって自信を強めていくことができる人もたくさんいます。

でも、中にはいくら成功体験があっても、褒められても、認められても自己評価が上がらないという人が実は少なくありません。頑張っても、頑張っても、心は満たされないのです。

頑張りすぎがうつにつながる

これは実は深刻な問題です。自信を持ちたくて、つい頑張りすぎてしまうことにつながるので、過労に陥ったり、うつになったりという結果に結びつきやすいのです。

なぜなのでしょうか。なぜ頑張りが、成果が自信につながらないのでしょうか。

もしかしてそれは、自信を持つために必要なものが本当は「別のもの」、だからではないでしょうか。

「承認欲求」の前に「愛と所属の欲求」

成功体験から自信を高めることができるためには、その前提として、基本的なところで自分を受け入れている必要があります。マズローの欲求階層説という心理学の古典的な学説がありますが、マズローは「承認欲求」を求める以前に、「愛と所属の欲求」が満たされる必要があるということを言っています。マズローの考えによると、低次の欲求が満たされて初めて、その上の高次の欲求を求めるようになるのだそうです。つまり自分は「愛され、居場所がある」と感じられることが、その上の「承認欲求」を追求する基盤になるということです。でも実際には、この「愛と所属」の課題をなおざりにしたまま、その上の「承認欲求」や「自己実現の欲求」を追求してしまっていることで、傷つき、挫折している人がすごく多いように思います。

認められることで居場所感を得たい

頑張っても自信が持てないという人はしばしば、仕事で認められることで「人から必要とされたい」とか、「そこに居てもいいと思いたい」ということを言います。でも、頑張った成果で認められるということは基本的に「条件付き」の承認であって、期待に応え、実績を上げることで受け入れられ、ダメなら低い評価を与えられるという厳しいものです。だからもし、その人がもっと「無条件に」受け入れられ、心が満たされることを求めているとしたら、その期待は裏切られ、傷つくことになってしまいます。

ありのままの自分が受け入れられる経験を必要としている

この自信のなさや、満たされない思いは、本当はもっと親しい関係の中で、無条件に認められ、自分はOKなんだと感じるという体験を必要としているのです。頑張らなくても、何もしなくても、そのままでいいよ、と受け入れられたいという欲求を、成果を認められることに置き換えようとしても難しいのです。

育ってきた人間関係の中で、自分がちゃんと受け入れてもらえていないと感じる、心の傷つきに自信が持てない原因があるので、これはやはり人間関係の中で癒していくしかありません。ありのままの自分が受け入れられる経験を通して、期待に応えるための頑張りではない、自分のための本物の頑張りができるようになります。そうして初めて、頑張った成果を自分のものとして実感し「自分はできる」と思えるようになるのです。

自分が嫌いなあなたへ ~自分を好きになるために

「自分が嫌い」は苦しい
落ち込んだり、不安になったりして相談に訪れる方たちの多くに共通している一つのこと、それは「自分が嫌い」、ということです。
自分が嫌いなことは苦しい。自己嫌悪という感情はとても憂鬱で苦痛なものです。

「自分が好き」はよいこと?悪いこと?
でも、その人が自分を好きになりたいか、というとそれはイヤだと思っていることも少なくありません。自分を好きな人と言えば、傲慢で、オレ様で、身勝手で、人を傷つけても平気でいる利己的な人物を思い浮かべているのです。

自己嫌悪感が強い人の中には、身近にそういう傲慢な性格の人がいて、すごく傷つきながら育ったということも少なくないようです。
とはいえ自己肯定感と心の健康に深い関係があることもよく知られるようになっているので、自分の問題を自己肯定感と関連づけて考えてもいたりもします。

どういうことなのでしょうか。自分を好きなことは良いことなのでしょうか。悪いことなのでしょうか。

自己愛のパラドックス
一見矛盾して見えるこの問題ですが、実は矛盾なのではなく、似て非なる二種類の「自分が好き」が混在し、見分けがつきくなっているせいで生じる誤解です。

自分大好きな、傲慢でオレ様で、自分はグレイトだ言う、自己宣伝、自慢が多いという人が、実のところ根底では自分が大嫌いで、すごくみじめな気分を隠し持っている、ということはとても多いです。でもそれを認めるのはすごくつらい。だから防衛的に自分を愛している。それが見かけ上の自己肯定の正体です。それはつまり、傷ついた自己愛を守るための「防衛的な自己愛」、偽物の自己肯定なのです。

本物の自己肯定感とは?
では本物の自己肯定とはどんなものでしょうか。

本当に自己肯定感の高い人は、傲慢で尊大なオレ様ではありません。むしろ深い自己受容に基づいた謙虚さがあり、自然体で、等身大の自分でいられるような人物です。人より優れているという優越感ではなく、「私はコレでいいのだ」と受け入れることから来る自信、それが本物の自己肯定です。

人間関係の中で育まれる自己肯定感
本物の自己肯定感は、信頼できる人間関係の中で、自然体の自分らしさをさらけ出し、その時にそれが肯定的に受け入れられたという体験に基づいています。自分で自分を認めること、だけれど、それは自分一人でできることでもないのです。信頼できる人を鏡にすることで本来の自分の姿を知り、受け入れることができる。そうして育まれた自己肯定こそが安定した心の健康の基礎となるのです。