頑張っているのに、なかなか自信が持てない人へ~「認められたい!」の根っこにあるもの

成果が上がっているのに自信に結びつかない

カウンセリングを受けにいらっしゃる人中で、とりわけうつの傾向の強い人には、とても優秀な頑張り屋さんが多いようです。仕事や勉強をすごく頑張っていて、その上家事や育児もこなしていたりと激務に耐えています。そうして実際に成果も出ていて、実力があり、周りからの評価も高い。なのになぜかいつまでも自信が持てないと言います。ほめられてもうまく受け止められず、「自分なんか…全然ダメです」と言います。謙遜して言ってのではなく、本当にそう思い込んでいるのです。

やってみて、うまく行って、成功体験を持つことができれば、「自分にはできる力がある」と感じて自己効力感が高まり、自信が持てるはず、そう考える人が多いと思います。この考えは正しいし、実際にそうやって自信を強めていくことができる人もたくさんいます。

でも、中にはいくら成功体験があっても、褒められても、認められても自己評価が上がらないという人が実は少なくありません。頑張っても、頑張っても、心は満たされないのです。

頑張りすぎがうつにつながる

これは実は深刻な問題です。自信を持ちたくて、つい頑張りすぎてしまうことにつながるので、過労に陥ったり、うつになったりという結果に結びつきやすいのです。

なぜなのでしょうか。なぜ頑張りが、成果が自信につながらないのでしょうか。

もしかしてそれは、自信を持つために必要なものが本当は「別のもの」、だからではないでしょうか。

「承認欲求」の前に「愛と所属の欲求」

成功体験から自信を高めることができるためには、その前提として、基本的なところで自分を受け入れている必要があります。マズローの欲求階層説という心理学の古典的な学説がありますが、マズローは「承認欲求」を求める以前に、「愛と所属の欲求」が満たされる必要があるということを言っています。マズローの考えによると、低次の欲求が満たされて初めて、その上の高次の欲求を求めるようになるのだそうです。つまり自分は「愛され、居場所がある」と感じられることが、その上の「承認欲求」を追求する基盤になるということです。でも実際には、この「愛と所属」の課題をなおざりにしたまま、その上の「承認欲求」や「自己実現の欲求」を追求してしまっていることで、傷つき、挫折している人がすごく多いように思います。

認められることで居場所感を得たい

頑張っても自信が持てないという人はしばしば、仕事で認められることで「人から必要とされたい」とか、「そこに居てもいいと思いたい」ということを言います。でも、頑張った成果で認められるということは基本的に「条件付き」の承認であって、期待に応え、実績を上げることで受け入れられ、ダメなら低い評価を与えられるという厳しいものです。だからもし、その人がもっと「無条件に」受け入れられ、心が満たされることを求めているとしたら、その期待は裏切られ、傷つくことになってしまいます。

ありのままの自分が受け入れられる経験を必要としている

この自信のなさや、満たされない思いは、本当はもっと親しい関係の中で、無条件に認められ、自分はOKなんだと感じるという体験を必要としているのです。頑張らなくても、何もしなくても、そのままでいいよ、と受け入れられたいという欲求を、成果を認められることに置き換えようとしても難しいのです。

育ってきた人間関係の中で、自分がちゃんと受け入れてもらえていないと感じる、心の傷つきに自信が持てない原因があるので、これはやはり人間関係の中で癒していくしかありません。ありのままの自分が受け入れられる経験を通して、期待に応えるための頑張りではない、自分のための本物の頑張りができるようになります。そうして初めて、頑張った成果を自分のものとして実感し「自分はできる」と思えるようになるのです。